IMAと横田大輔とミヤギフトシと写真論Ⅴでの話題
IMAという写真雑誌を定期購読している。
本は、買うが、満足してしますタイプだ。
この週末は地域の会合が二本あり、昼間は
良い感じで読書できる時間が作れた。
IMAの「いまを生きる作家たちの対話」
イメージに立ち現れる物語と風景
横田大輔×ミヤギフトシ
ナビゲーター:アイヴァン・ヴァルタニアン
という特集が掲載されていた。(IMA 2017.Summer Vol.20)
ミヤギフトシは1981年・沖縄生まれ。美術作家。
映像を使った美術活動を数多く発表している。
ぜひ、読んでほしい。
対談中に横田大輔氏が好きな読者としてあげた
西尾維新、佐藤友哉、谷川流
も興味を持った。
西尾維新は
の上巻を電子書籍で買ってみた。
ちょうど、昨日の私が開講している、大阪芸術大学
写真論Ⅴで今年の卒業制作に映像で仕上げたいという
生徒の問題を取り上げたので、より
の記事にひかれた。
ここからは、土曜日の写真論Ⅴ
でのU君の話題。
彼は、世の中が便利になれば、無駄(便宜上の表記
彼自身:無駄という言葉がいいのか疑問だそうだ)
が実はある意味大切だと思うようになった。
利便性で生まれたもの(人が構築したもの)はある意味
場所が違えど、要素は同じで、その要素を抽出して並べ
ると差異がなくなる。と彼は考えた。
コンビニは各社あるが、冷蔵ケースや、運搬、販売手法
、競争価格を考えると、どのパンも同じような形状や大
きさになる。
パッケージを外し、その物自体をひたすら並べてスタジ
オ撮影してきた。
植林された山々を場所をかえ写真に撮影。場所の特徴が
欠落する様子を並べてみたりした(今までの取り組み)
表現が多岐にわたるので、絞るように他の先生から指導
を受け、今悩んでいるという。
ようやく、見出した表現が映像の編集仕上げらしい。
どのようなコンセプトで、映像化するか今、モヤモヤ
状態だと訴える。
今回、黒板を使い、彼のモヤモヤを受講した生徒皆で
共有した。
写真や映像では被写体と言われるレンズを向ける何か
が必要だ。その何かを(ものの持つ意味や用途を外し
たとしても)彼が今まで写真で取り組んだものを聞い
た。
A:山
B:道
C:コンビニのパン
山
こちらは、植林された山
切り崩された山
盛り積まれた山
人が入らなくなった山
保護されている為、立ち入れない山
危険で入れない噴火した山
御神体になるので立ち入れない山
道
高速道路
都市の道路
街路樹が植わる住宅地の道
あぜ道
農道
林道
過疎が進みもう人が利用しない道
けものみち
人工物が悪くて、非人工物が言い訳ではないが、一応
両方が存在するものを探してみた。
人だけが文化的なものアートは人独自の思考だ。
けものは「生きる為に動く」
人も生きる為に動いてきた時代をへて神や悪魔と
言った信仰への行為を行ったことに目を向ける。
ここをどう扱うか、その部分が彼が利便性との対極
で感じる対比したい:(無駄というにはしっくりし
ない何か)ではないのかと...
答えはこの写真論Ⅴでは出なかったので(本人曰く
少し、何かを掴めたかもと...)
次回に持ち越しにした。続く...