ひび写真とのお付き合い m2photoCLUB’s diary

こんな場所、あんな場所で素敵な日々の写真を撮影。気取らない写真とのお付き合いブログです。

プロフォトグラファーになる、広告写真第一歩 

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プロ写真人(プロフォトグラファー)になる。その決心と第一歩。僕は大阪芸術大学を1981年に入学し4年で卒業しています。入学式の隣には写真学科当時10名以下だった女の子Yさんが座りそのもう一つ右にO君がいました。そのO君と数日後に大学のガイダンスで会った時「君はプロ写真家になるんだろ?」っと言われ、なんとなく(僕は就職など考えることなく入学したてだったので)その場にいた僕は「えっ?そんなつもりでここにきたのか」と彼の発言に驚かされました。自分的には大学は遊ぶための場所と考えていたからです。

僕は高校時代写真部の部長をしていたので、それなりに少しは写真に自信がありました。初めてカメラを手にしたのは小学校4〜5年生だったと思います。一眼レフカメラが自宅の書棚にあるのを見つけ、そのカメラを持ち出して、近所のカメラ屋さんでカラーネガフィルムを買いに行きました。その店でフィルムを入れてもらい撮影をしました。家の裏にJRが通っていたので、まずは鉄道を朝早くに起きて撮りに行きました。見たことのない配色の列車が来るたびに興奮したのを覚えています。

小学生時代から中学まで鉄道を写したり、鉄道ファンという雑誌を見たりして、それなりにかっこいい写真が撮れていたと思います。同時にそのカメラ(PENTAX-SL)にも興味を持つようになりました。交換レンズをお年玉を貯め中古で買ったり、フラッシュを買ったりしました。PENTAXはマニュアル機でしたのでフィルムの箱に書いてある【快晴=1/250秒F11】【晴れ=1/250秒F8】【 曇り=1/250秒F5.6】の表記を参考に撮影していました。

周りの友人からも僕が撮影した鉄道写真を見せると、もっぱら評判が良く、自分は写真が上手だと思い込んでいました。母親も褒めて育てる人だったので、まさに天狗だったと思います。

大学に受かり、1年目から同期の連中が撮る写真の発想の違いに愕然としました。当時の学科長、岩宮武二先生から名前を覚えてもらうことも、作例の選抜メンバーに残ることもありませんでした。みるみるモチベーションが下がり、他の学生の実力者を目の当たりにし自信喪失で自分にゆるい4年間を過ごしました。

4回生では、親に悪いので(一般大学からしたら学費や機材で負担をかけた)せめて写真関係の仕事に就こうと就職活動をしました。同じゼミの同期ですが1歳上の方が同じ印刷会社を面接したので、よく考えずに玉造にある小さな印刷会社に就職しました。暗室と撮影の機会があるので、学生時代よりやる気も倍増。同僚とも先輩とも仲良くなり社カメとして(会社に属しているカメラマンの呼び名)有意義な時間を過ごしました。

 

2年と8ヶ月お世話になり一身上の都合で転職。もう少し大きな中小企業(メーカー)に1週間後入社。ここでは社カメ+VTR制作も手がけました。1年後に就職した4歳上のYさんと音楽もスポーツも作品としての写真も気が合い、多くの影響を受けました。

Yさんの事は人生の岐路でキーになった最初の出会いと今も思います。僕が26歳だった頃「テニスやスキーもっと上手になりたいんですよね〜」と何気ない会話の中でYさんに言うと「僕は写真が上手くなりたい」と。この一言がきっかけで社カメラ=井の中の蛙から他人が写真を評価する世界=フリーランスのフォトグラファーに目を向けることができました。

縁あって住友林業の住宅撮影をしているHさんや○○百貨店の広告のモデル撮影をしているNさん。○印刷や○フィルムのお仕事をされていたFさん。学校案内や会社案内の仕事が多かったUさんのアシスタントを経験し27歳で退職しフリーのアシスタントになりました。又、辞めた会社から安く請け負う外注フォトグラファーとしてもお声をかけていただけました。

アシスタントの数と自分の撮影の数が半々になる頃に結婚。疲れている暇もなく日々を過ごしていた気がします。

Hさんが僕に「プロとして成り立つにはこの線を越えることが必要」とアシスタントを経験することを強く勧めてくれました。また「努力すれば誰でもプロになれる」「その上に行くには運やタイミングを味方に」と今も心に残る言葉をいただきました。当時、初めて僕の写真ファイルを見たHさんは「人物撮影下手ですね」と「でも建築写真は努力して丁寧に撮影しているから大丈夫ですよ」と。僕は当時悔しくて悔しくて、きっと見返してやる!っという気分になりました。

 

今もHさんやFさん、大学時代のO君と深く繋がっています。プロフォトグラファーとアマチュアとの差は技術でもセンスでもなく、辞めずにその業界に残って来れたか?の違いだけでしょうね。大学時代に写真を預けるエージェントフォト・ストックフォトのH.Fさんが「皆、お金が続かなくなって、業界から去るんや。しがみ付いてたら、良いことがあるのに諦めてしまう」そんな発言を僕にしてくれました。

大学出たら一緒にこの仕事しないか?と誘われたのですが、H.Fさんと生活感覚で合わないことを学生時代から感じていましたので、丁重にお断りしました。

 

今、後輩でアシスタント派遣会社をやめフリー(フリーアシスタント&行事撮影フォトグラファー)になった後輩が数名います。たまに撮影助手として手伝ってもらっています。彼らも不安が多くあるでしょうし、僕が独立した25〜6年前とは社会情勢が変わっていますね。アドバイス出来ることはあるのかないのかわかりませんが、ここでこのように少し書いてみようかなという話でした。